ミュージアムにおける学びとリテラシーについて
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HIRANO Tomoki
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大学院生
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岸田恵理
『美術教育学 : 大学美術教科教育研究会報告』(16) pp.101-110 1995年
信濃美術館におけるギャラリートークのあり方について、イギリスの美学者ハロルド・オズボーンの『The Art of Appreciation』(1970)に基づきながら考えていく。オズボーンは芸術鑑賞を「理論的な知識の類ではなく、感情の放縦でもなく、獲得されうる技能である」としている。この論ではオズボーンの言葉を引きながら、作品「紅浅間有明月」を例に、どのようにギャラリートークで作品を語り、観者に伝えるべきか:芸術鑑賞における言葉の役割をケーススタディ的に考察している。
鑑賞を「獲得されうる技能」としたオズボーンの考え方は面白い。ただ、それがギャラリートークの語りでどのように実現されるべきかは、難しいところである。
『美術教育学 : 大学美術教科教育研究会報告』(16) pp.101-110 1995年
信濃美術館におけるギャラリートークのあり方について、イギリスの美学者ハロルド・オズボーンの『The Art of Appreciation』(1970)に基づきながら考えていく。オズボーンは芸術鑑賞を「理論的な知識の類ではなく、感情の放縦でもなく、獲得されうる技能である」としている。この論ではオズボーンの言葉を引きながら、作品「紅浅間有明月」を例に、どのようにギャラリートークで作品を語り、観者に伝えるべきか:芸術鑑賞における言葉の役割をケーススタディ的に考察している。
鑑賞を「獲得されうる技能」としたオズボーンの考え方は面白い。ただ、それがギャラリートークの語りでどのように実現されるべきかは、難しいところである。
芸術鑑賞への導入において、作品を分析することも、歴史的背景について語ることも有効であった。しかし鑑賞それ自体は、分析や知識の獲得とは別次元のものであり、美的感性的に作品の統一的な質を知覚することである。pp.109
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