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ミュージアムにおける学びとリテラシーについて
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名前:
HIRANO Tomoki
職業:
大学院生
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橋本裕之
『民族學研究』62(4) pp.537-562 1998年

社会科学や人文科学の世界で文化の政治性が問われるようになる中、博物館をテクストとして読み解くアプローチが増えてきている。しかし、実際の博物館において現実に生起している出来事をエスノグラフィックに記述する研究はあまりない。この研究はその視座に立ち、博物館における物を介したコミュニケーションが、屈折したインターラクティブ・ミスコミュニケーションとでも呼びうるものであるとする。その自体を理解するべく、最近の民俗学で適用されているパフォーマンスアプローチ、演劇のメタファーを持って博物館を見る必要性を提起している。
博物館と来館者のコミュニケーションとして展示を捉えるミュージアム・コミュニケーション論とは一線を画し、そもそもそこで起こっているのはコミュニケーションではなく、演劇における演者と観客の関係のようなインターラクティブ・ミスコミュニケーションであるとする発想が面白い。演劇のメタファーを使うことで、ミュージアムにおけるコミュニケーションをうまく捉えられる気がする。

だが、博物館においてもパフォーマンス的な状況は存在している。それは演者と観客の対面的なコミュニケーションというよりも、物(を展示する担当者)と来館者が時間差と空間差をはらみながら構成する屈折したコミュニケーションによって成立している。したがって、くわしく後述するが、演者が自分の身体を用いることによって上演される通常の演劇よりも、演者が背後に隠れて物を操作することによって上演される人形劇に近い構造を持っているといえるかもしれない。いずれにしても、来館者は一方的に展示のメッセージを供給される受動的な存在を意味していない。むしろ展示されたものを解釈するという意味で展示におけるパフォーマンスの主体であり、観客であるのみならず演者でもあるということができるのである。pp.540
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