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ミュージアムにおける学びとリテラシーについて
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名前:
HIRANO Tomoki
職業:
大学院生
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吉田健 菅井勝雄
『教育工学会大会講演論文集』14, pp.39-40 1998年

博物館への教育工学からのアプローチとして、主に科学・技術館における展示手法について検討する。ジオラマなどの〈提示型展示法〉や天体模型などの〈説明型展示法〉は、刺激・反応モデルに基づいた行動主義的なものであるとする。そして、ハンズ・オンなどの〈応答する環境〉の展示は学習者それぞれが理解を構成するという意味で構成主義的であると言える。近年では、エコ・ミュージアムやインターネットなどの活用による体験のデザインなど、社会構成主義にも通じる展示法が出現してきているという。
学習論におけるパラダイムシフトの考え方を展示法に適用したという点は面白いが、たとえばハンズ・オンを構成主義、エコ・ミュージアムを社会構成主義として単純に片づけて良いものかは疑問が残る。ただ、最近の認知研究がインフォーマルな場における学びに注目していることからも、学習理論のミュージアムへの適用可能性はたしかに存在するのだろう。
展示法の基礎となる人間の学習の仕組みや仕方が解明され始めるのは、1910年代の行動主義心理学からであり、その後2度にわたる認知革命により学習の諸相が、それぞれの心理学のパラダイムごとに明らかにされ、今日に至っている。[…]こうした学習観の変遷は、展示法の整理に役立つと考えられる。pp.39
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大野,照文 川上紳一 田口公則 染川香澄 磯野なつ子 たけうちかおる
『岐阜大学教育学部研究報告 自然科学』27(2),pp.131-137 2003年

博物館におけるハンズ・オン学習とその評価が専門のハンズ・オン・プランニングが参加し、小学生を対象に三葉虫の学習プログラムを行った成果報告。岐阜大学教育学ぶりか教育講座が主催した講座で、三葉虫について扱われている。
化石を見てそれをスケッチし、講師が体のつくりなどをレクチャーするという従来のハンズ・オンの学習スタイルで、アンケートによると参加者の満足度は高かったという。ただし参加者の多くは理科が好きで化石に興味を持っている子どもたちばかりだったため、一概にプログラム自体の評価とすることはできない。
博物館にはどうしても、ある程度の関心がある人がやってくるわけで、とくにこのような講座に参加するのは博物館エキスパートに近いことが多い。しかし、その点を統制して実践・評価を行っても、博物館において実際に起こっている学習ではなくなってしまう。この間のジレンマは非常に難しいところである。

C・G・スクリビン
ロバート・ヤコブソン編/篠原稔和監訳 食野雅子訳『情報デザイン原論』東京電機大学出版局pp.103-152
1999=2004年

博物館や美術館、ショッピングモールなど、利用者が自由に歩き回ることのできる情報空間のデザインについて、その特性から考えていく。学習環境としての博物館は、自由である分さまざまなマイナス要因が働いており、利用者の注意、学習への動機づけを阻害しかねない。展示という情報野の中には、さまざまなメッセージが含まれており、展示で伝えたいメッセージというのはその中のわずかな部分である。実際、博物館の展示のメッセージを正確に理解している利用者は少数でしかない。この困難さを克服し、博物館をよりよい学習環境にしていくためには、目的中心の情報デザインをする戦略が重要であると述べられる。目標を設定し、狭い情報野を歩き回るよう仕向けることで、学習のマイナス要素が軽減されるのである。
展示はコミュニケーション=情報の伝達であるという前提に立ち、そのデザインの必要性を述べているわけだが、展示全体で伝えたいものはあまりに大きく抽象的であるため、スモールステップでその目標に迫っていくというのは非常に合理的ではあるが、実際にそうデザインするのは難しそうだ。

なかでも、博物館のような公共的な場所における知識や概念の伝達はとくに難しい。これらの場でメッセージが伝達されるためには、「受け手」となるべき人々の自発的な努力が必要だが、その人たちの周りには注意をそらすものや他の選択肢がたくさんある。利用者が必ず注意を払う必要はなく、伝わってくるメッセージに注目するのも、これを無視するのも、また歪めるのも自由である。そのような状況では、受け手のニーズや正確に応えるだけでなく、彼らの注意を引き、引き留めておける情報システムをデザインすることが極めて重要である。pp.103
山中理
『教職教育研究:教職教育研究センター紀要』6 pp.51-63 2001年

関西学院大学の博物館実習担当教員が、自身の経験として、美術作品の見方を獲得していった過程を語る。彼は7~8世紀の日本と中国の陶磁器が専門の学芸員であり、さまざまな作品から作者や時代、社会の顔を見いだしながら、作品を受容し評価することができるようになるには、展覧会を見に行き、作品を何度も見て、展示するようになって、何年も経た後のことだったという。
随想録のような内容でつかみどころがないが、ものから何かを引き出すこと、図版や映像ではなく、本物と向き合うことが、大切なことのようである。後半には、それができる学芸員になるための博物館実習の一例が語られている。

心を震わせる感動的な美術作品に出会い、その作品が持つ力をうまく抽き出すことが出来れば最高である。図版や映像などでなく、生のものと向き合うことが如何に素晴らしいか。作品を利用するのでなく、作品に敬虔な心で向き合い、その内包するものを解放する喜びを人々と分かち合いたいと思う。pp.51
高桑康雄 芝崎順司
『視聴覚教育研究』23 pp.83-103 1993年

弥生美術館の特別展示にワークシートを活用し、それが来館者の鑑賞行動にどのような影響を及ぼすかを調査した研究。視聴覚教育論者である高桑は、博物館を「資料を中心として視聴覚に訴える展示によって来館者の学習を進める施設」pp.83とする。その学習の一助として、ワークシートが位置づけられる。
その結果、来館者はある程度学芸員の意図どおりに展示を鑑賞しており、男女差はほとんど見られなかったが、いくつかの点で年齢差が見られた。ただし、特定の見方を強制するような、選択肢式のワークシートに疑問を抱く来館者も多かったという。
視聴覚教育の文脈で、博物館を「視聴覚的なリテラシー」の必要な場として捉えたことは重要であるように思える。

[…]多くの場合、来館者は随意に展示資料を観覧し、館内を一巡して退出する。したがって、館側の展示の意図や趣旨が十分にりかいされないままに終わる場合が少なくないと思われる。それは、来館者の視聴覚的なリテラシーが不十分であるためであろう。pp.83

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