ミュージアムにおける学びとリテラシーについて
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HIRANO Tomoki
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大学院生
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森千花
『東京都現代美術館紀要』6, pp.44~50 2000年
東京都現代美術館では、現代美術のアーティストによるワークショップというスタイルをとってきた。この小論では間島領一と磯崎道佳によるワークショップを取り上げ、ワークショップの可能性、その経験の意味、美術館の役割を考える。
間島はワークショップを運営する際に、参加者の子どもが自由に動けるファシリテーションを行った。磯崎はワークショップを自らの美術活動の一部と捉え、ワークショップ空間をインスタレーション作品のようにデザインした。このようなワークショップを行うためには、それを運営する美術館の役割が重要になってくると述べられる。まあ、その通りである。
『東京都現代美術館紀要』6, pp.44~50 2000年
東京都現代美術館では、現代美術のアーティストによるワークショップというスタイルをとってきた。この小論では間島領一と磯崎道佳によるワークショップを取り上げ、ワークショップの可能性、その経験の意味、美術館の役割を考える。
間島はワークショップを運営する際に、参加者の子どもが自由に動けるファシリテーションを行った。磯崎はワークショップを自らの美術活動の一部と捉え、ワークショップ空間をインスタレーション作品のようにデザインした。このようなワークショップを行うためには、それを運営する美術館の役割が重要になってくると述べられる。まあ、その通りである。
[…]ワークショップという経験を通して、参加者のみならずアーティストも、美術館とともにいくつかの発見に出会い、その成果を自分の身体体験として内在しながら変貌を遂げてゆく。そうした実践による問い直しの好意は、目に見えないところで美術や美術館の枠組みを、緩やかに、しかし確実に変えて行く可能性を宿しているのではないだろうか。pp.47
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伊藤優子
『名古屋市美術館研究紀要』9 pp.33~66 1999年
名古屋市美術館において毎年夏休みに行われてきた子ども向けワークショップの3年間(平成9年度~11年度)の成果を報告する。中でも「バーガー“ビジュツカン”」(平成11年度実施)は示唆に富んでいる。バーガーショップのメニューのように、美術館の所蔵作品のリストからコンセプトを持ったセット商品を選びながら、メニューを作成する。
バーガーショップというメタファーが面白いし、ワークショップのプロセスが展覧会を作るプロセスに似ており、ミュージアムの展示が作られていく仕組み・過程を理解できるように作られている。参加グループによって達成度がまちまちだったそうだが、その差がリテラシーなのかもしれない。
『名古屋市美術館研究紀要』9 pp.33~66 1999年
名古屋市美術館において毎年夏休みに行われてきた子ども向けワークショップの3年間(平成9年度~11年度)の成果を報告する。中でも「バーガー“ビジュツカン”」(平成11年度実施)は示唆に富んでいる。バーガーショップのメニューのように、美術館の所蔵作品のリストからコンセプトを持ったセット商品を選びながら、メニューを作成する。
バーガーショップというメタファーが面白いし、ワークショップのプロセスが展覧会を作るプロセスに似ており、ミュージアムの展示が作られていく仕組み・過程を理解できるように作られている。参加グループによって達成度がまちまちだったそうだが、その差がリテラシーなのかもしれない。
こうした集団でひとつのものをつくりあげる際に、参加者の主体的な活動を引きだし、まとめていくというWS独自の方法が発揮されることになる。美術館や美術のシステムに焦点を当てたWSは、美術館や美術の社会における必要性や位置づけを参加者に伝えることとなり、美術館が現在行うべき活動のひとつであるのではないだろうかと考えている。pp.35
降旗,千賀子
『月刊社会教育』38(3) pp.23~30 1994年
目黒区美術館の開館以来ずっとワークショップに携わってきた著者が、美術館におけるワークショップの可能性を語る。彼女によれば、ワークショップとはひととものとことの“関係”をみつめるためのものであるという。来館者は、美術館で人と関わり、展示と関わり、空間と関わる。美術が社会の中で絶えず新しい方向を向いていくように、ワークショップは、来館者がいつでも新鮮なやり方で能動的に美術館に関わることができ、新たなものの見方を発見することを支援するのである。
少し古いが、ミュージアムのワークショップを“関係”という視点から考えるやり方は少しも古ぼけてはいない。ワークショップによってミュージアムのひととものとこととの“関係”を築き、絶えずそれを更新し異化していくこと、ミュージアムに対して積極的になることが、ミュージアムとうまくつきあうひとつのやり方なのだ。
『月刊社会教育』38(3) pp.23~30 1994年
目黒区美術館の開館以来ずっとワークショップに携わってきた著者が、美術館におけるワークショップの可能性を語る。彼女によれば、ワークショップとはひととものとことの“関係”をみつめるためのものであるという。来館者は、美術館で人と関わり、展示と関わり、空間と関わる。美術が社会の中で絶えず新しい方向を向いていくように、ワークショップは、来館者がいつでも新鮮なやり方で能動的に美術館に関わることができ、新たなものの見方を発見することを支援するのである。
少し古いが、ミュージアムのワークショップを“関係”という視点から考えるやり方は少しも古ぼけてはいない。ワークショップによってミュージアムのひととものとこととの“関係”を築き、絶えずそれを更新し異化していくこと、ミュージアムに対して積極的になることが、ミュージアムとうまくつきあうひとつのやり方なのだ。
誤解をおそれずにいえば、作品について、いくら親切なガイドブックやカラフルなワークシートが用意されていても、見る人が作品そのものに能動的な視線を送らない限りは、真の鑑賞にならないのではないだろうか。まず、作品に物怖じせずに向き合い、自分が、自分の意見を、自分の言葉で、自分なりに表現できるような積極的な視線を持つことが重要なのではないだろうか。そうした能動的な思考があってこそ、ワークシートやギャラリーツアーが鑑賞のために有効な手段になりえるであろう。pp.30
『美術手帖』829 pp. 162-164 2003年
2002年9月から10月にかけて三鷹市美術ギャラリーで開催された「ミロ-マヨルカ島の光の中で」に関連して、館とNPO法人AIT(アーツイニシアティブトウキョウ)の共同企画によるワークショップ体験記。2日間に及ぶワークショップではまず、展覧会を鑑賞し、簡単なレクチャーを受けた後、参加者は企画会議・作品選び・展示作業に至るまで、もうひとつのミロの展覧会を自分たちだけで企画していく。
展覧会を作ってみる、というのは難しそうだが、面白い活動である。ワークショップの前に見たミロの展覧会の、ありえたかもしれないほかの可能性が見えてくる。展覧会というのは、その館によるひとつのものの見方でしかないことを示すワークショップであったと言える。ただしこれはアカデミックな実践ではないし、ただの雑誌記事なので、評価などの部分は存在しないしよく分からない。スタッフにも参加者にも高いモチベーションがあったからこそ成功した実践だったと言えるだろう。
2002年9月から10月にかけて三鷹市美術ギャラリーで開催された「ミロ-マヨルカ島の光の中で」に関連して、館とNPO法人AIT(アーツイニシアティブトウキョウ)の共同企画によるワークショップ体験記。2日間に及ぶワークショップではまず、展覧会を鑑賞し、簡単なレクチャーを受けた後、参加者は企画会議・作品選び・展示作業に至るまで、もうひとつのミロの展覧会を自分たちだけで企画していく。
展覧会を作ってみる、というのは難しそうだが、面白い活動である。ワークショップの前に見たミロの展覧会の、ありえたかもしれないほかの可能性が見えてくる。展覧会というのは、その館によるひとつのものの見方でしかないことを示すワークショップであったと言える。ただしこれはアカデミックな実践ではないし、ただの雑誌記事なので、評価などの部分は存在しないしよく分からない。スタッフにも参加者にも高いモチベーションがあったからこそ成功した実践だったと言えるだろう。
佐藤優香
『国立民族学博物館調査報告』26 pp. 141-159 2002年
全米日系人博物館巡回展「弁当からミックスプレートへ」に関連して開催されたワークショップ「みんぱくミックスプレートひろば」の記録。展示の中でも中心的な役割を占めているミックスプレートを、参加者ひとりひとりの思い出の食事として再構成する。このワークショップを通じて、「フォーラムとしての博物館」、すなわち、「時と場を共有し、対話をとおしてたがいの文化を理解する装置」として博物館を利用できるようになることが意図された。またそこで、場の共有、対話を生み出すファシリテーター(今回はボランティアと博物館実習生)の育成の重要性も指摘された。
“食”という、誰もがつながりを見出しやすいテーマで、紙皿と紙粘土による工作というシンプルな活動がこのワークショップの良さであると思う。ただし、正統な評価を行っていないため、これがどのように来館者の博物館体験に寄与したかは結局のところ確実にはわからない。
『国立民族学博物館調査報告』26 pp. 141-159 2002年
全米日系人博物館巡回展「弁当からミックスプレートへ」に関連して開催されたワークショップ「みんぱくミックスプレートひろば」の記録。展示の中でも中心的な役割を占めているミックスプレートを、参加者ひとりひとりの思い出の食事として再構成する。このワークショップを通じて、「フォーラムとしての博物館」、すなわち、「時と場を共有し、対話をとおしてたがいの文化を理解する装置」として博物館を利用できるようになることが意図された。またそこで、場の共有、対話を生み出すファシリテーター(今回はボランティアと博物館実習生)の育成の重要性も指摘された。
“食”という、誰もがつながりを見出しやすいテーマで、紙皿と紙粘土による工作というシンプルな活動がこのワークショップの良さであると思う。ただし、正統な評価を行っていないため、これがどのように来館者の博物館体験に寄与したかは結局のところ確実にはわからない。
ワークショップが博物館への理解をたすけるということや、ワークショップを通して博物館への理解が深まったという指摘は、「参加者」というよりはむしろ、「ファシリテーター自身」であったようだ。[…]「ワークショップにこめられた思いなど、博物館のものひとつひとつにいろんな人の思いがこめられているんだなあと改めて実感しました。ここにある1枚1枚のプレート(作品)にも、その人のメッセージがこめられている」という記述があった。後者のような感想を、参加者もいだくことがあれば、そのときこそ、博物館のさまざまな展示が対話の契機となり、博物館がフォーラムとして機能しはじめるときになるのではないだろうか。pp. 157-158