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ミュージアムにおける学びとリテラシーについて
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名前:
HIRANO Tomoki
職業:
大学院生
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青木哲夫
『歴史科学』(151)pp.1-10 1998年6月

豊島区立郷土歴史館で行われた戦争関係の展示や事業について紹介しながら、人々の歴史認識の形成に寄与する歴史系博物館のあり方について述べる。戦争の被害に関する遺物展示、学童疎開に関する図版とパネルなど、さまざまなものを駆使して展示を構成し、図録も作成した。
基本的にこの館の活動が具体的に述べられているだけなので、ここから何が分かるというわけでもないが、歴史系博物館にとって「歴史認識」という言葉がキーワードのような気がしてきた。歴史系博物館は試行錯誤しながらものと情報を展示して実体のない「歴史」というものを紡ぎ上げ、人々の歴史認識を作るのだ。

「“もの”そのものに語らせる」ということが、よくいわれるが、私は、このことを文字通りに解したらそれは間違いで、“もの”はそのままでは何も語らない、と言いたい。先の空襲被災品も、知らない人が初めてそれを見たら、なんだか分からずショックも受けようがない。ましてや疎開先の生活用品の大部分は、それ自体は普通の生活用品なのであるから、これが使われていたところでどのようなことがあったのかを彷彿とさせる、そんな想像力をかきたてるような説明が必要である。pp.6
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久留島浩
『地理歴史教育』608 pp.28-35 2000年

国立歴史民俗博物館の歴史展示の特色と、歴史学習との関連性を考える。歴博の展示は通史展示ではなくテーマ展示を行い、学校教育とは距離を置くことが暗黙の前提とされているという。歴博は「正当な」歴史解釈を意識的に避けているのである。ただし、歴博の展示は、現状のままでは子どもの歴史学習には使いにくいという。
博物館は「もの」を見せる場であるという意識がそこにはある。博物館の学習は、「もの」から展開しなければならない。そこから、学習者それぞれが、歴史認識、「歴史を観る力」といったものを紡ぎ出すべきなのである。歴史系博物館が歴史教育において果たすべき役割は、一般的な他の博物館においても適用できるだろうか。

近年、歴史的事実や真実は相対的なものであり、歴史叙述は「物語」にすぎないのだという考え方が広がりつつあるが、「事実」に近づく資料批判の方法や認識方法を習得することが「歴史を観る力」の習得とあわせて歴史学習の獲得目標であるということだけは譲れない。pp.34
會田康範 藤實久美子
『歴史地理教育』695 pp.14-21 2006年

学習院大学史料館と学習院高等科の連携により2005年度に行われた「総合」の講座「博物館を知ろう」を紹介する。この講座の目的は、受講者に博物館そのものに対する関心を深めてもらうことであり、そのために、来館者の視点ではなくインサイダーとして博物館の普及活動に関わり、業務の実際に触れられるようにした。授業でも、生徒たちの関心から出発し、あらゆるものが資料となりうることなどが講義された。
(歴史系)博物館は、身近な「モノ」に刻まれた歴史の痕跡を発見し、考え、主体的に何かを作っていく場であるとされる。学習院の中で行われている小さな実践ではあるが、これは、博学連携により博物館そのものを学ぼうとする意欲的な試みとして位置づけられる。
小島道裕
『歴史地理教育』695 pp.8-13 2006年

国立歴史民俗博物館に勤務し、イギリスの博物館に留学経験のある著者が、イギリスやアメリカの博物館教育の事例を紹介しながら、博物館、とくに歴史系博物館における参加・体験について考える。彼は、歴史系博物館の体験プログラムに(1)追体験型(2)研究体験型(3)創造型、という3つの型があるとし、現在のプログラムでは(1)が優越しているが、博物館という素材を最大限に用いた体験を創造するのであれば、(2)が重視されるべきであるとする。博物館は、来館者一人ひとりが歴史を探求するための素材を提供する場所なのだ。
歴史系博物館の存在する意義、博物館教育が果たすべき役割について、示唆に富んだ内容になっている。

そして、実は博物館自体がそのような装置なのではないでしょうか。「歴史」は博物館自体の中にあるわけではなく、それを探求するための素材があるにすぎないのです。地域のさまざまな場所で、さまざまな人々によって営まれてきたのが実際の歴史で、その名残として遺跡があります。そしてそれらの全体を見渡し、情報を得る「ビジターセンター」として博物館を利用するなら、本物の歴史を尋ねる上で有用な知識を得ることができるでしょうし、探究していくための方法を身につけるトレーニングセンターとしても役立つでしょう。pp.13
竹内有理
『国立歴史民俗博物館研究報告』109 2004年

アメリカや欧米において実施されてきた展示評価・来館者研究の蓄積を、近世歴史展示に応用して実施された研究。展示の評価と改善・リニューアルを目的に行われた。著者は多くのイギリス来館者研究に触れており、その知識を日本の博物館の現場に生かした研究ということになる。展示室内における来館者のトラッキング調査と質問票による記憶および理解の調査という、オーソドックスなスタイルの来館者研究である。行動分析と質問票の共用により、行動主義的な来館者の分析だけではない、包括的な体験の理解を試みる。
展示評価というときには、展示を制作する側の意図と来館者の意図のせめぎ合い、そしてその“ずれ”がクローズアップされる。この研究でもそれは例外ではないが、それだけではない。彼女は最後に別の、非常に重要な可能性を示唆している。

いわゆる学校での教育(フォーマルエデュケーション)と違い、博物館の到達目標は多様であり、対象とする観客の年齢も知識や興味の度合いも様々であるため、到達目標に対する達成度による評価はそもそも博物館にはなじまない。それは博物館の展示を評価する一側面にはなり得てもすべてではない。むしろ、インフォーマルな学びの場として、観客の自由な選択や解釈を誘発していくことこそが博物館の展示が持つポテンシャルであり、強みであるといえる。pp. 356
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