ミュージアムにおける学びとリテラシーについて
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HIRANO Tomoki
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大学院生
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Eilean Hooper-Greenhill
Eilean Hooper-Greenhill (Eds.)The Educational Role of the Museum pp.28-43 Routledge; 2nd Revision 1999年
ミュージアム・スタディーズの世界的研究者アイリーン・フーパー=グリーンヒルの、コミュニケーションという側面から見たミュージアムに関する考察。ミュージアムのマス・メディア的な側面に着目し、シャノン=ウィーバーのコミュニケーションモデルをミュージアムに適用する。このモデルは、展示チームから来館者へメッセージが伝えられるということだけでなく、ミュージアムのさまざまな側面で適用することができる。またメッセージは一方通行ではなく、来館者からのフィードバックは展示チームにとって重要な情報となる。
『博物館体験』から、展示、イベント、建築、そしてショップやカフェ、出版物なども含めた丸ごとのコミュニケーションプロセスからミュージアムのイメージが形成されることも語られる。わかりやすい図が多用され、コミュニケーションとしてミュージアムを見ることの重要性、ミュージアムのメディアとしてのさまざまな特性が見えてくる。
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福田珠己
『人間科学論集』(30) pp.1~25 1999年
一宮市博物館で行われた、身近な地域のくらしに関する小学生対象の企画展において、来館者がどのように「昔のくらし」を受けとめ、理解しているのか、エスノグラフィックな分析を行い明らかにしていく。調査は1週間にわたり、あらかじめ設定しておいたポイントを中心に、ビデオカメラ、MDレコーダーで人々の会話をできる限り記録するというやり方で行われた。
今回は準備的な研究ではあったが、地域による差、物から引き出される過去の経験、現在との比較など、博物館では展示メッセージに関わる/関わらないさまざまな語りが起きており、多様な語りや体験が相互作用しあう場であることが分かった。
たしかに調査の手法としてはかなりゆるく、分析もうまく行っているとは言えないが、博物館の展示室で起こっている出来事を丸ごと捉えようとしたことは面白い試みであったと思う。展示のメッセージがどれだけ伝わったかを調べるだけが、来館者研究ではないのだ。
『人間科学論集』(30) pp.1~25 1999年
一宮市博物館で行われた、身近な地域のくらしに関する小学生対象の企画展において、来館者がどのように「昔のくらし」を受けとめ、理解しているのか、エスノグラフィックな分析を行い明らかにしていく。調査は1週間にわたり、あらかじめ設定しておいたポイントを中心に、ビデオカメラ、MDレコーダーで人々の会話をできる限り記録するというやり方で行われた。
今回は準備的な研究ではあったが、地域による差、物から引き出される過去の経験、現在との比較など、博物館では展示メッセージに関わる/関わらないさまざまな語りが起きており、多様な語りや体験が相互作用しあう場であることが分かった。
たしかに調査の手法としてはかなりゆるく、分析もうまく行っているとは言えないが、博物館の展示室で起こっている出来事を丸ごと捉えようとしたことは面白い試みであったと思う。展示のメッセージがどれだけ伝わったかを調べるだけが、来館者研究ではないのだ。
本稿では、展示室での観察を通じて、多様な視点から語られた「地域の昔」のもつ特徴の一端を引き出してきた。語られた昔はいかなるものか、また、その語り口がいかに多様であるか、昔を説明する位置の違いや博物館そのものに対する人々の反応などに注目することによって、優勢な意味とその生成だけに注意を払うような解釈では解き明かせない博物館の意味に、わずかではあるが接近していった。博物館という表象は決して優勢なメッセージのみで満たされているものではなく、多様な語りや体験が交差し影響を及ぼしあっているものなのである。pp.23
橋本裕之
『民族學研究』62(4) pp.537-562 1998年
社会科学や人文科学の世界で文化の政治性が問われるようになる中、博物館をテクストとして読み解くアプローチが増えてきている。しかし、実際の博物館において現実に生起している出来事をエスノグラフィックに記述する研究はあまりない。この研究はその視座に立ち、博物館における物を介したコミュニケーションが、屈折したインターラクティブ・ミスコミュニケーションとでも呼びうるものであるとする。その自体を理解するべく、最近の民俗学で適用されているパフォーマンスアプローチ、演劇のメタファーを持って博物館を見る必要性を提起している。
博物館と来館者のコミュニケーションとして展示を捉えるミュージアム・コミュニケーション論とは一線を画し、そもそもそこで起こっているのはコミュニケーションではなく、演劇における演者と観客の関係のようなインターラクティブ・ミスコミュニケーションであるとする発想が面白い。演劇のメタファーを使うことで、ミュージアムにおけるコミュニケーションをうまく捉えられる気がする。
『民族學研究』62(4) pp.537-562 1998年
社会科学や人文科学の世界で文化の政治性が問われるようになる中、博物館をテクストとして読み解くアプローチが増えてきている。しかし、実際の博物館において現実に生起している出来事をエスノグラフィックに記述する研究はあまりない。この研究はその視座に立ち、博物館における物を介したコミュニケーションが、屈折したインターラクティブ・ミスコミュニケーションとでも呼びうるものであるとする。その自体を理解するべく、最近の民俗学で適用されているパフォーマンスアプローチ、演劇のメタファーを持って博物館を見る必要性を提起している。
博物館と来館者のコミュニケーションとして展示を捉えるミュージアム・コミュニケーション論とは一線を画し、そもそもそこで起こっているのはコミュニケーションではなく、演劇における演者と観客の関係のようなインターラクティブ・ミスコミュニケーションであるとする発想が面白い。演劇のメタファーを使うことで、ミュージアムにおけるコミュニケーションをうまく捉えられる気がする。
だが、博物館においてもパフォーマンス的な状況は存在している。それは演者と観客の対面的なコミュニケーションというよりも、物(を展示する担当者)と来館者が時間差と空間差をはらみながら構成する屈折したコミュニケーションによって成立している。したがって、くわしく後述するが、演者が自分の身体を用いることによって上演される通常の演劇よりも、演者が背後に隠れて物を操作することによって上演される人形劇に近い構造を持っているといえるかもしれない。いずれにしても、来館者は一方的に展示のメッセージを供給される受動的な存在を意味していない。むしろ展示されたものを解釈するという意味で展示におけるパフォーマンスの主体であり、観客であるのみならず演者でもあるということができるのである。pp.540
琵琶湖博物館
『琵琶湖博物館研究調査報告』17号 pp.1-209 2000年
2000年2月に、アメリカから展示評価と来館者研究の講師(ブライアン・マクラーレン:コロラド大学自然史博物館、ロス・ルーミス:コロラド大学、ミンダ・ボーラン:フランクリン科学博物館)を招き、日本で先進的な試みをしている江戸東京博物館とも協力して、日本ではまだなじみのない博物館を評価する視点についてのワークショップとシンポジウムが行われた。その成果をまとめた報告書。
ワークショップは博物館関係者を対象に、琵琶湖博物館の展示でのトラッキング調査と改善提案、その効果の検討という、来館者調査と展示の企画段階評価(Formative Evaluation)に関するものであった。いつも展示という事業に携わっている博物館関係者であっても、ふだんやったことのない調査に戸惑い、試行錯誤しながらのワークショップだったという。今回の対象は博物館関係者だったが、これをうまく加工すれば、展示をどう見るか、どう見せるかの理解についての、来館者のミュージアム・リテラシーにもつなげる実践ができそうである。
『琵琶湖博物館研究調査報告』17号 pp.1-209 2000年
2000年2月に、アメリカから展示評価と来館者研究の講師(ブライアン・マクラーレン:コロラド大学自然史博物館、ロス・ルーミス:コロラド大学、ミンダ・ボーラン:フランクリン科学博物館)を招き、日本で先進的な試みをしている江戸東京博物館とも協力して、日本ではまだなじみのない博物館を評価する視点についてのワークショップとシンポジウムが行われた。その成果をまとめた報告書。
ワークショップは博物館関係者を対象に、琵琶湖博物館の展示でのトラッキング調査と改善提案、その効果の検討という、来館者調査と展示の企画段階評価(Formative Evaluation)に関するものであった。いつも展示という事業に携わっている博物館関係者であっても、ふだんやったことのない調査に戸惑い、試行錯誤しながらのワークショップだったという。今回の対象は博物館関係者だったが、これをうまく加工すれば、展示をどう見るか、どう見せるかの理解についての、来館者のミュージアム・リテラシーにもつなげる実践ができそうである。
展示評価の基本的な考え方は、展示という場を通して、博物館と来館者とのコミュニケーションを計ることができているのか、あるいは展示が博物館からのメッセージの伝達の場と考えるならば、そのメッセージを来館者に伝えることができているか、ということを調べ、その結果から改善の方法を探るということである。あくまで実践的な評価であって、来館者の動向を研究するための方法ではないとされている。
このような評価は展示というものを考え直すきっかけになると考えられる。展示は単に知識を伝える場でもなければ、楽しく遊ぶ場というだけでもない。一時的な楽しさだけが協調されるようでは、イベントのディスプレイと同じであるし、博物館からのメッセージなども必要ではない。博物館の展示においてもっとも大切なのはメッセージのないようであり、そのメッセージがどのように伝えることができているのかということが展示評価の内容である。pp.14