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ミュージアムにおける学びとリテラシーについて
Profile
名前:
HIRANO Tomoki
職業:
大学院生
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Robins, C. (2005) Engaging with Curating. International Journal of Art & Design Education 24(2) pp.149-158

Creative Connectionsという美術館教育に関する研究プロジェクトの一環で、ヴィクトリア・アルバート美術館のキュレーティング作業に参加した美術・デザインの教師たちが、キュレーティングという役割について批判的になっただけでなく、展示を教育資源として活用する志向を見につけたと、インタビューやアンケートの結果から報告している。これは美術・デザインの教師たちの専門性の向上のためにも重要なポイントだという。
インタビューやアンケートの結果があまり詳しく載っておらず、論文というよりも報告でしかないが、単に美術作品を見るのではなく、キュレーティングという作業への気づきがあることが、より批判的な理解を生むというのは面白い。引用されているMacDonald & Silverstoneの指摘のとおり、展示はさまざまな力学の中で生成されているものであり、展示されているものを鵜呑みにしてはならず、批判的な検討をしなければならないのだ。
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Silverstone, R. (1988) Museums and the Media: A Theoretical and Methodological Exploration. The International Journal of Museum Management and Curatorship 7(3) pp.231-241

さまざまなジレンマをはらんだ政治的な場での一時的な解決としてテクストを生産し続けるという点で、ミュージアムとマスメディアの共通性を指摘した論考。ミュージアムにはモノ(資料)があり、身体的な空間があるが、それはミュージアムとマスメディアの共通性を語れなくするほどの差異ではないという。ミュージアムもマスメディアも、時間と空間を結合しながらリアリティを形成している。そこでは、政治的・経済的・美的な力学が働いている。
現在、テレビをはじめとするマスメディアにおいては、このような視座に基づく研究が盛んになり始めているが、ミュージアムに関してはそのような研究がまだ見られていないことを指摘し、ミュージアムに関するさらなるメディア的視座からの研究の必要性を示唆している。ミュージアムのカルチュラル・スタディーズを提言するといった意味合いの強い論文であると言える。
Hooper-Greenhill, E.
International Journal of Heritage Studies. 10(2), pp.151-174 2004年

ミュージアムやアーカイブ、図書館のような文化施設の多くは公立であることから、文化行政への説明責任を担っている。つまり、ミュージアムにおいて来館者が実際に学習したかどうかを説明しなければならないわけだが、それにはそのための評価基準、フレームワークが必要になる。包括的学習成果(Generic Learning Outcomes)は、このような視点から開発されたミュージアム学習の効果を記述するフレームワークである。

1.知識と理解
2.技術
3.姿勢と価値観
4.楽しさ・触発・創造力
5.行動・態度・進歩

5つの要素からなり、そのどれもが必要不可欠であるということが示されている。ミュージアムにおける学習は単純な知識と理解だけではないのである。このフレームワークからすれば、ミュージアムを楽しむことができることも学びに含まれる。ここでの学びの概念は非常に広いということができる。
吉田健 菅井勝雄
『教育工学会大会講演論文集』14, pp.39-40 1998年

博物館への教育工学からのアプローチとして、主に科学・技術館における展示手法について検討する。ジオラマなどの〈提示型展示法〉や天体模型などの〈説明型展示法〉は、刺激・反応モデルに基づいた行動主義的なものであるとする。そして、ハンズ・オンなどの〈応答する環境〉の展示は学習者それぞれが理解を構成するという意味で構成主義的であると言える。近年では、エコ・ミュージアムやインターネットなどの活用による体験のデザインなど、社会構成主義にも通じる展示法が出現してきているという。
学習論におけるパラダイムシフトの考え方を展示法に適用したという点は面白いが、たとえばハンズ・オンを構成主義、エコ・ミュージアムを社会構成主義として単純に片づけて良いものかは疑問が残る。ただ、最近の認知研究がインフォーマルな場における学びに注目していることからも、学習理論のミュージアムへの適用可能性はたしかに存在するのだろう。
展示法の基礎となる人間の学習の仕組みや仕方が解明され始めるのは、1910年代の行動主義心理学からであり、その後2度にわたる認知革命により学習の諸相が、それぞれの心理学のパラダイムごとに明らかにされ、今日に至っている。[…]こうした学習観の変遷は、展示法の整理に役立つと考えられる。pp.39
Costantino, T.
Educational Theory. 54(4) pp.399-417 2004年

『経験としての芸術』やそれ以前のエッセイから、デューイの美術館へのアンビバレントな態度を分析する。デューイによれば美術館は美的経験を人々の日常生活から切り離されたところに隔離してしまうと批判する一方で、美的感受性を育む場としての美術館の可能性を指摘している。彼の美術館論の背景には、教え子であり、実業家であったアルバート・バーンズが見え隠れする。バーンズは美術館ではなく美術教育のための財団を作り、日常生活の中の美術・美的感受性を教育することに努めた。厳密に言うとバーンズの財団はデューイの思想と相反するところを持っていたが、彼の存在は非常に重要であった。
デューイの教育論の中心には、日常生活の中の学び、作業による学びを重視するという視座が見られるが、彼の美術館論も人々の日常生活を重んじる点で共通していると言うことができるだろう。実際、『学校と社会』の中でも彼は、実験学校において主要な役割を担うものとしてミュージアムを中心に配置している。ミュージアムはデューイの思想ともつながりを持つのである。
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