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ミュージアムにおける学びとリテラシーについて
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名前:
HIRANO Tomoki
職業:
大学院生
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『マナビィ』33 pp.31~33 2004年3月

2003年によこはま動物園ズーラシアで、東京工芸大学の学生と動物課の学芸員のコラボレーションによって行われたワークショップの記録。第1回ワークショップでは学生のやりたいことばかりがクローズアップされ、コラボレーションには至らなかったが、その反省を生かし、第2回「でこぼこアリクイ」では学生と学芸員が議論を重ねた上でのワークショップができたという。
雑誌記事だが、コラボレーションによるワークショップの難しさ、デザインの重要性が明らかにされている。また、ミュージアム自体の目標との整合性がワークショップの評価のポイントとなることも頭に置いておきたい。

「でこぼこアリクイ」の評価の中では、私たちが何を目指してデザインすべきなのかという方向性が見出されました。参加者が自由に表現できる場の創造、つまり、そこに正解を求めないワークショップこそ、ズーラシアで活動する私たちの存在意義なのです。pp.33
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森千花
『東京都現代美術館紀要』6, pp.44~50 2000年

東京都現代美術館では、現代美術のアーティストによるワークショップというスタイルをとってきた。この小論では間島領一と磯崎道佳によるワークショップを取り上げ、ワークショップの可能性、その経験の意味、美術館の役割を考える。
間島はワークショップを運営する際に、参加者の子どもが自由に動けるファシリテーションを行った。磯崎はワークショップを自らの美術活動の一部と捉え、ワークショップ空間をインスタレーション作品のようにデザインした。このようなワークショップを行うためには、それを運営する美術館の役割が重要になってくると述べられる。まあ、その通りである。

[…]ワークショップという経験を通して、参加者のみならずアーティストも、美術館とともにいくつかの発見に出会い、その成果を自分の身体体験として内在しながら変貌を遂げてゆく。そうした実践による問い直しの好意は、目に見えないところで美術や美術館の枠組みを、緩やかに、しかし確実に変えて行く可能性を宿しているのではないだろうか。pp.47
伊藤優子
『名古屋市美術館研究紀要』9 pp.33~66 1999年

名古屋市美術館において毎年夏休みに行われてきた子ども向けワークショップの3年間(平成9年度~11年度)の成果を報告する。中でも「バーガー“ビジュツカン”」(平成11年度実施)は示唆に富んでいる。バーガーショップのメニューのように、美術館の所蔵作品のリストからコンセプトを持ったセット商品を選びながら、メニューを作成する。
バーガーショップというメタファーが面白いし、ワークショップのプロセスが展覧会を作るプロセスに似ており、ミュージアムの展示が作られていく仕組み・過程を理解できるように作られている。参加グループによって達成度がまちまちだったそうだが、その差がリテラシーなのかもしれない。

こうした集団でひとつのものをつくりあげる際に、参加者の主体的な活動を引きだし、まとめていくというWS独自の方法が発揮されることになる。美術館や美術のシステムに焦点を当てたWSは、美術館や美術の社会における必要性や位置づけを参加者に伝えることとなり、美術館が現在行うべき活動のひとつであるのではないだろうかと考えている。pp.35
開仁志 長谷川総一郎
『富山大学教育実践総合センター紀要』5 pp.69-80 2004年

富山大学付属幼稚園の幼児を対象に、水墨美術館の見学に際してワークシートを作成し、その成果を見た調査研究。ギャラリートークなどのインタラクティブな手法と違ってワークシートは1人学習の素材であり、いったん作成してしまえば教師も子どもも自由にできるという点で、日本の教育風土に合っているという。結果、幼児はワークシートに高い反応を示し、彼らの鑑賞の補助となっていることが確認され、今後は幼稚園と美術館、大学の連携が必要であることが示唆された。
幼稚園でワークシートというのは早すぎる気もするが(実際のところ保護者のワークシート作成援助が重要なポイントである)、美術館の初心者に対して美術に触れるきっかけをつくったという意味では、たしかにワークシートが機能したと言うことができるだろう。設問は「数を数える」「クイズに答える」「吹き出しの中身を埋める」「好きな絵を見つける」など。

美術館のワークシートは鑑賞を支援するツールに過ぎない。したがって鑑賞に慣れた人には不要となる。しかし、作品は「見る人の感性が重要なので言葉は不要」という美術館関係者でも作品については膨大な文章表現に依存している。言葉は幼児にとっても人間のコミュニケーションの重要な媒体である。ワークシートは両刃の剣であることを承知の上で、作成や使用すれば、ビギナー向けの鑑賞にはこんな便利なツールは他に無い。pp.70
山木朝彦
『美術教育学:大学美術教科教育研究会報告』22 pp.297-301 2001年

美術教育と批評の関係について、デューイを引きながらその重要性を指摘している。デューイは『経験としての芸術』の中で、批評は芸術に関する認識を変化・拡大させるものとしている。そして、芸術家が創作によって成し遂げたことを生活の中で成し遂げる(美的経験)ことでのみ、芸術の十全な意義を把握することができ、批評はそれを増進するとする。ただし、アメリカを経由して日本において現在幅を利かせている西洋中心的な批評理論では説明できない芸術のポストモダン的状況があり、これからの批評はそれも踏まえていかなければならない。
この話は必ずしもミュージアムに限らない一般的な美術教育・鑑賞教育の話だが、ミュージアムの学びとリテラシーというときに美術館もそれに含まれる以上、「美術とは何か」という問いは避けて通れない。批評の理解もミュージアムのリテラシーの一部なのだろう。

[…]批評を機能という面から述べれば、「批評の機能は芸術に関する認識の再教育という点にある。即ち、それはものの見方や聞き方を身につけるという難事業を補助するものである」ということになるのである。見方、聞き方の学習といえば、お仕着せのリテラシーを連想するひともいるかもしれないが、周囲の文脈からみて、デューイの力点は、批評の理解を通じて実現される認識の拡大・深化に置かれている。pp.297
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